第2回 前編 坂井宏行さん(オーナーシェフ)
今回のゲストは、『ラ・ロシェル』のオーナーシェフ坂井宏行さん。国民的な人気番組として一世を風靡した『料理の鉄人』に出演し、フレンチの巨匠として活躍。彼の手から魔法のように生みだされる繊細で目にも鮮やかなフレンチの数々に、思わず魅了された方も多かったことでしょう。
今だから話せる『料理の鉄人』の裏話や、坂井さんの料理に対する思いをお聞きしました。(取材:2009.6)
― 坂井さんといえば、やはり “料理の鉄人”ですが、「今だから話せる番組の裏話」がありましたらお聞かせください。
- トータルで5年半出演したんですが、本当に勉強になりました。
テーマとなる食材は、本番前までいっさい知らされませんから、「前回はあれだったから、今回はこれかな…」なんて予測を立てて、これまでのレシピを見直したりシミュレーションしたりと、ピリピリしながら準備をしていましたね。
だけど、いざ本番が始まったら「まったく予想していない食材だった!」なんてこともよくありました。そんなときは、もうパニックですよ(笑)。1時間で4品を6名分も作らなくてはならないので、とりあえず前菜を作りながら、メイン料理のメニューを考えるような状態でした。
「あんなのはフレンチじゃない、たかがテレビ番組だろう」と、バッシングを受けることもありましたが、やはり、出場するからには負けたくない。毎回真剣勝負で挑んでいたんですよ。
― もっとも思い出に残っている料理対決はありますか?
- 番組の終了が決まり、「最強の鉄人」の称号をかけて戦った陳建一さんとの最後の戦いですね。
僕と彼はプライベートでも大の仲良しなんですが、「お互いにベストを尽くそう」ということで、最終決戦の2週間前からは口もきかず、気持ちを高めていったんです。
食材のテーマは、それまで僕が3連敗していた”オマール海老”。「今度こそは」という思いでリベンジし、なんとか僕が勝利を収めたんですが、終わったあとは陳さんと肩を抱き合って号泣しました。 司会者の鹿賀丈史さんも審査員も、みんながもらい泣きしてしまって…。あのときのことを思い出すと、今でも胸が熱くなります。
出演者もスタッフもみんな本気だったから、あれほど人気番組になったんでしょうね。番組当初は、「あんなのはフレンチじゃない」と僕をバッシングしていた人たちも、最後はみんな「良くやった!」と讃えてくれました。あんな輝かしいステージに立てたことは、料理人として本当にありがたかったですね。
― 坂井さんが、料理を作るうえで大切にしていることは何ですか?
- やはり、自分の舌を信じて「自分が美味しい」と思う料理を作ることです。
料理って、「足すか、引くか」なんですよ。足してばかりだと、素材の味を殺してしまうこともある。だから思い切って「引く」勇気を持つことも大切です。いろいろと手を加えるより、焼いただけで美味しく食べられる素材もありますからね。
あとは、ひとりよがりではなく、お客様の目線に立って「お客様が望んでいる料理」を作ること。 たとえば、本場のフレンチは一品の量がとても多く、日本人の胃袋の大きさには合わない。そこで僕の場合は、繊細で美しい”和懐石”のテイストをフレンチに取り入れ、食の細い日本人でも、少しずついろんな味を楽しめるように工夫しています。
― やはり、「食べる人のことを考えて料理を作る」ということは大切なんですね。
では、ご家庭の主婦が料理を作る場合に、気をつけておくべきポイントは何でしょうか?
- もちろん、「食べる人のことを考えて作る」ということは、家庭料理を作るうえでも大切ですね。
たとえば、「主人の夜食を作るなんて面倒だわ…」と思いながら作ったラーメンと、「インスタントしかないけど、ごめんなさいね」と思いながら作ったラーメンとでは、同じラーメンでも味が違いますよ。思いが相手に伝わりますからね。
僕の場合、海外出張から帰ってきたときに、奥さんが作ってくれる「けんちん蕎麦」と「肉じゃが」を食べるとホッとするんです。素朴な料理ですが、僕の好きな味をちゃんと分かってくれているので「あ~、帰ってきたなぁ」って、落ち着くんです。これが家庭料理の良さじゃないかな。
- 【プロフィール】 フレンチレストラン『ラ・ロシェル』オーナーシェフ 坂井宏行さん
- 1942年、鹿児島生まれ。フレンチ界の巨匠、志度藤雄氏の銀座『四季』や、『西洋膳所 ジョン・カナヤ麻布』などで修行を積み、1980年に独立。『ラ・ロシェル』を開店しオーナーシェフとなる。1993年~1999年に放映された『料理の鉄人』では、フレンチの巨匠として登場し、”世界最強のシェフ”の称号を得るなどして一躍人気者に。
La Rochelle ラ・ロシェル http://www.la-rochelle.co.jp/